北方領土のページ
T.北方領土の位置





北方領土の島々は大きい! 北方領土は最も近い島々
日本五大離島 日本本土からの順位
第1 択捉島 (3139ku)
第2 
国後島 (1500ku)
第3 沖縄島 (1254ku)
第4 佐渡島  (857ku)
第5 奄美大島 (709ku)
第1 貝殻島〔歯舞群島〕 (3.7km)
第2 淡路島       (4.0km)
第3 
水晶島〔歯舞群島〕 (7.0km)


U.北方領土の登記手続について

1.根室支局に現存するいわゆる北方領土関係登記簿について

 @登記簿の現状と保管の経緯

 既にご存じの方もおられるかと思うが、いわゆる北方領土といわれる、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の登記簿は、現在その総てが釧路地方法務局根室支局に他の登記簿と全く同じ状態で整然と保管されている。
 なぜ北方領土四島の登記簿や台帳の全てが現存し、またそれが現在の釧路法務局根室支局に保管されているのかというと、まず、歯舞群島と色丹島については当初から根室区裁判所、いわゆる今の根室法務局の登記管轄であった。択捉島の登記簿等についても、戦況の悪化により昭和20年6月に根室区裁判所に事務委任が行われたため、登記簿も根室区裁判所に移管された。
 最後に残った国後島の登記簿については、これは当時の国後島泊出張所の書記(今の登記官)であった浜清氏が、自らの判断でソビエト軍の侵攻の直前に搬出し、それが根室区裁判所に事実上保管されたのち、昭和20年9月に国後島泊出張所の登記事務も根室区裁判所に委任され、終戦後、これらの事務委任が廃止された後も、なぜか登記管轄が定められないまま、そのまま根室法務局に保管されたままとなっているわけである。

 A法令上の根拠と法的性格

 しかし、北方領土の登記管轄がどこの登記所にも属していない今日、これらは果たして現在も登記簿といえるのであろうか。確かに、かつては登記簿であったものには違いないが、現行法上はどのような法的性格をもったものと解すればよいのか。少なくとも現行の登記事務においては、通常の登記簿と同様には扱われていない。
 この件については、昭和42年に釧路地方法務局長から民事局長宛に、北方領土の登記簿の法的性格を如何に解すべきかの照会がなされている。が、残念ながらこの点を明示した回答は為されず、北方領土の登記簿の法的性格に対する日本政府の明確な見解は今のところ得られていない。
 しかし、北方領土の登記簿がどのような性格をもち、その存在がいかなる法律上の根拠によるものなのかについては、これを明確にする必要がある。
 なぜなら、その結果によっては当然、北方領土が返還された場合の登記簿の取扱いが異なってくるであろうし、それはまた、北方領土の不動産に対する元島民の権利関係についてもきわめて重要な影響を持つものだからである。
 では、現在根室法務局に保管されている北方領土の登記簿の法的性格として、どのような考えをとることが可能なのであろうか。
 おおむね次のような4つの考え方があると思われる。

1説.不動産登記法上の登記簿そのものである、という考え。
2説.不動産登記法上の登記簿であるが、事実上登記簿としての機能が停止されている、という考え。
3説.不動産登記法上の登記簿ではないが、登記簿として復活する可能性がある、という考え。
4説.不動産登記法上の登記簿ではなく、当時の権利を推定する参考資料となるにすぎない、という考え。

 日本政府の見解は、概ね3説に近いと思われる。
 というのは、通常の登記簿とは明らかに区別しているものの、現在のところ相続に関してのみではあるが、北方領土の不動産につき登記簿上の所有者の相続人からその旨の申し出があった場合は、相続事項を記録した用紙をその不動産の登記用紙が綴じられている簿冊と同じ簿冊に綴る「相続の申出手続」という特別の措置がとられているからである。
 この相続の申出手続というのは、昭和45年4月10日に何らの法律上の根拠も示されずに突然このような取扱をするとの通達が出て、現在に至っている。この通達に基づく相続の申出が為された場合の当局側の記載手続過程において特に留意すべき点を指摘すると、相続事項は登記簿中のいわゆる所有権に関する事項を記載する用紙、これを甲区用紙というが、この甲区用紙ではなく、別に設ける「相続関係用紙」に記載し、登記官の公印ではなく、支局長の認印を押した上、甲区用紙の次に編てつすることとなっている。また、そこには「所有権移転」という文言も使用されてはいない。このことは、とりもなおさず、不動産登記法に基づく登記ではないことを、如実に物語っている。ただ、実際の相続の申出手続自体は、登録免許税を納めなくてよいほかは、本来の相続登記に要求される添付書面と同一程度の内容のものが要求されている。したがって、相続の申出の内容については、本来の相続登記と同様、かなり信頼のおけるものであるということはいえようか。
 しかし、この相続の申出という措置は、通達が出された経緯からみてもあくまでも暫定的なものであると云わざるを得ないから、領土が返還された場合に果たして登記とみなされるようになるかという点については考慮されておらず、不明である。場合によっては、現在行われている手続がまったく無意味に帰する可能性も十分にある。
 では、北方領土の登記簿の法的性格についてはどのように考えるべきなのであろうか。
 結論としては、やはり1説の不動産登記法上の登記簿そのものであると考えるべきであろう。それは、北方領土の登記簿が不動産登記法上の登記簿でなくなったという、法律上の根拠が全くないからにほかならない。占領されるまでは北方領土において純然たる登記簿として取り扱われていた公文書が、戦争という状況下のなかで、外部に持ち出されたことのみによって、登記簿の法的性格そのものが失われるようなことはありえないはずである。登記簿は法律によってのみ登記簿でなくすることが可能なのである。ましてや、日本政府は北方領土はわが国固有の領土であると主張している。その立場は先程の1説になんら矛盾しないどころか、むしろ登記簿として扱わなければ、我が国の領土であることそのものを否定することになりはしないであろうか。以上から、占領前後を通じて、登記簿の法的性格は何ら変わっていないと考えるのは、しごく当然のことと云えよう。
 次に、北方領土地域の登記に関する問題点について、検討してみることにする。

2.登記管轄と事務委任について

 @消えた登記管轄

 現在、北方領土の登記申請は受け付けられていない。正確には、登記の申請は受けても登記実行は行われないということである。その理由とするところは様々あるようだが、こと登記手続上の観点から申せば、北方領土の登記管轄が存在しないということがまず原因のひとつにあげられよう。
 この登記管轄というものにつき簡単に説明すると、わが国の不動産はすべて、その所在地によって、不動産登記事務を掌る管轄法務局が定められている。また各法務局の管轄区域は、行政区画を基準とし、法務大臣が定めることになっている。つまり、若干の例外はあるが、不動産の所在地がどの行政区画に属するかによって、その管轄法務局が自動的に定まるのが通例である。そして、管轄権のない法務局で誤って為された登記は絶対的に無効となるため(不動産登記法第49条第1号)、登記申請する場合、管轄は非常に重要な要件となるわけである。
 ところで、この登記管轄に関連して同じく不動産登記法第9条には、法務大臣は必要があるときは、本来の管轄法務局の登記事務の全部または一部を他の法務局に取り扱わせることが出来る「事務委任」という制度がある。北方領土の登記事務についても、昭和20年6月に紗那出張所管轄の登記事務について、同年の9月には泊出張所管轄の登記事務について、それぞれ事務委任が行われ、結局終戦直後には当時の根室区裁判所、今でいう根室法務局が北方領土の全ての登記事務を行うことになっていた。そして、昭和24年に先の根室区裁判所への事務委任の省令が全て廃止された。
 ところが、それと同時に定められた「法務局及び地方法務局の支局及び出張所設置規則」の登記管轄区域の別表の中においては、国後郡も、エトロフ郡も、色丹郡も、およそ北方領土の全ての地域が、正確にいうと、花咲郡を除く全ての地域が、なぜか忽然と消えてしまったのである。しかも、この昭和24年という時期は、あのGHQ覚書が出された昭和21年でもなければ、サンフランシスコ平和条約が発行となった昭和27年でもないのである。つまり、北方領土の登記管轄を失わしめる何らかの解釈が生じうるような事件や事実が起こった時期ではないということである。
 これは一体どういうことを意味するのであろうか。単なる法の不備なのであろうか、それとも何らかの意図的なものがあったのだろうか。いずれにせよ、不動産登記にとって「登記管轄」はその登記が有効となるための絶対の要件であることは、先程も述べたとおりである。登記の申請は、管轄法務局にしなければならないのであるから、その前提が充足されないままの登記は、およそ不可能と言わざるを得ない。
 余談だが、北方領土地域と同様に近隣諸国との間で領有権問題が存在するとされる「竹島」や「尖閣列島」については、行政区画が定められ本籍がおけるのはもちろんのこと、当然登記事務の管轄も定められている。大韓民国が実行支配しているとされている竹島については島根法務局西郷支局の管轄とされ、尖閣列島については沖縄法務局石垣支局の管轄とされ、現実にも不動産登記が可能である。
ただ、戸籍については、既に誰でもが北方領土のどの地域にも本籍を置くことが出来るようになっている。

 A管轄の存在と登記実行事実の存在

 さて、先ほど、北方領土の登記管轄が、正確には、花咲郡を除いて全て無くなったと述べた。では、花咲郡はどうなったかというと、実はどうもなっていないのである。
 なぜなら、花咲郡とは行政区画上、当時の歯舞群島を含む歯舞村のことであり、そしてこの歯舞村は昭和34年に根室市と合併している。そうすると、北方領土のうち歯舞群島については、事実上行政権の行使は出来ないにしても、行政単位上は根室市の一部となっていることになるわけである。
 もっとも、歯舞群島については、合併の効力が及んでいないという考えもありえようが、行政区画というのは、事実上行政権の行使は出来なくとも、戸籍上の本籍地と同じように観念的には十分成り立ち得るわけであるから、歯舞群島に合併の効力が及んでいないという考えは、日本の領土であることを否定する立場からでしか主張しえない考えであると言わざるを得ないものである。現に、昭和42年12月19日に根室市議会においては、自治省および北海道の了承を得て、歯舞群島を含む歯舞地区の字名地番改正案を可決している事実もある。このように、歯舞群島が根室市の一部であるということになると、根室市の登記管轄は根室法務局であるから、歯舞群島の登記管轄はなくなってはおらず、今なお当然に根室法務局にあるということになる。しかも、このことを裏付けていると思われる登記事実も、現に存在している。
 たとえば、北方領土の水晶島にある建物の登記簿を閲覧して見ると、そこには「昭和35年法務省令第10号付則第5条により建物の滅失を登記する」旨の記載があり、その横には日付と登記官の公印も押印されているのである。しかも「第二番の(前記滅失の)登記をしたので、昭和39年2月29日この登記用紙を閉鎖する」とも記載されている。さらに詳しく調査してみると、これと全く同じような登記が、歯舞群島の建物登記簿にのみ全て実行されていたのである。
 この登記は表題部へ職権でなされている登記なので、権利関係に直接影響を与えるものではないかも知れない。また、法務省令第10号付則第5条とは「家屋台帳に滅失の登録がされているものについては、登記官は職権で滅失の登記をすべきもの」と定めているが、実際には同じ物件の家屋台帳を調べて見ても滅失の記載が見当らないことなど、問題とすべき点も多い。
 ただ、これらの点をさておいたとしても、ここで注目したいのは、現地調査をしてからが原則である表題部への登記が、歯舞群島の不動産に対してのみ現に実行されているという事実である。
 このことは、とりもなおさず、歯舞群島には少なくとも昭和39年当時までは登記管轄が存在していたということの証左ではないだろうか。
 この点について、当時根室法務局に在職されていて、この登記を実際に手がけた登記官から当時の状況などを聞いたところ、(その内容については、今はもうすでに退職されているとはいえ、オフレコの部分も多く、詳細には紹介出来ないことをお詫びする。)あくまでも個人的見解と断わりながらも、歯舞群島の登記については、当時は出来るものと思っていたとのことであった。ここまで来ると、歯舞群島の登記については管轄が存在する以上、現在でも当然に認められてしかるべきではないかとなるわけである。

 B登記手続−その可能性を求めて

 そこで、この考えを実証すべく、歯舞群島の元島民である舛潟喜一郎氏の依頼を受けて、数名の司法書士とともに実際に登記申請を行ってみることにした。登記の目的は所有権登記名義人表示変更。申請に至る経緯や内容等については、何かの機会に公表できると思うので、ここでは割愛する。
 さて、結果は如何に。
 実は、法務省では、先の昭和39年の登記事実からわずか3年半後に、根室市議会で可決した歯舞群島の字名地番改正にともなう職権による字名の変更の登記については、理由抜きで出来ないという回答を出していた。したがって、たとえ登記管轄の問題はクリア−出来たとしても、おそらくすんなりとは認めないであろうと思ってはいたが、案の定4か月後になって却下の決定があった。
 その理由は「申請事件は、事実上我が国の統治権、行政権が及ばない地域であり、これらの地域に属する不動産については、事実上、不動産登記法に基づく登記ができないので、本件申請は、登記の対象外に係る登記の申請であり、不動産登記法第49条第2号の規定により却下する。」と云うものであった。不動産登記法第49条第2号とは「事件カ登記スヘキモノニ非サルトキ」の場合のことを意味する。少なくとも同法第49条第1号の登記管轄不存在による却下ではなかった。(聞くところによると、却下理由を1号にするか2号にするかで随分もめたようである。)
 それにしても、「事実上我が国の統治権、行政権が及ばない」とは果たしてどのような状態のことを云うのであろうか。
 上記の反対解釈として、北方領土地域に法律上は我が国の統治権も行政権もおよんでいるとするならば(この点については、昭和35年4月5日の衆議院外務委員会における民事局長の『北方領土にはなお我が国の施政権が及んでいる』との答弁が残っている)、同地域に関する法律関係に対しては、どのように考えるべきなのであろうか。
 また、北方領土を本籍地とする戸籍事務が根室市役所において現実に取り扱われているなかで、登記事務も同じ行政事務でありながら、「事実上、不動産登記法に基づく登記ができない」のはなぜなのであろうか。そして、そのことが、なぜ「登記スヘキモノニ非サル」ものになるのであろう。
 不動産登記法第49条第2号に関しては、「『事件カ登記スヘキモノニ非サルトキ』とは、主として、申請がその趣旨自体においてすでに法律上許容すべきでないことが明らかな場合をいう(最判昭42・5・25)。」との最高裁判例がある。
 そして、この却下決定に対する様々な問題点については、この先、審査請求の申立て、さらには北方領土登記訴訟(いわゆるマスガタ訴訟)にまで発展していくことになるのである。

V.北方領土マスガタ訴訟について

 1994年6月1日、一人の老人が国を相手に、北方領土の土地に対する登記手続を求める訴えを提起した。訴えを起こしたのは根室市在住で当時90歳になる舛潟喜一郎氏。いわゆる北方領土マスガタ訴訟の始まりである。
 日本国政府は、北方領土はわが国固有の領土であると内外に表明している。したがって、そこにはわが国の主権・統治権が当然に存在し、その土地には元島民が終戦当時有していた私権もまた当然に存在しているといわざるを得ない。しかし、北方領土の総ての登記簿が根室法務局に保管されていながら、登記については半世紀にわたって実施されていない。舛潟氏の行った登記申請も「北方領土の土地は、事実上わが国の統治権、行政権が及ばない地域の不動産」として却下処分となった。そこで、冒頭のような訴えが提起されたわけである。
 公判での舛潟氏の主張を聞いていると「北方領土は日本固有の領土」という響きのいい言葉ばかりが先行していくなかで、戦後50年間この言葉を信じ、国の政策に期待を寄せてきた元島民が、行政にも裏切られた末の最後の拠り所として司法の判断を仰がざるを得なかった思いがひしひしと伝わってくる。
 そういう意味では、戦後に残された未解決の分野の一つであり、本件訴訟は舛潟氏一人の権利保全を求めた裁判では決してなく、元島民あるいはその二世や関係者の全体にかかわる問題といえよう。
 さらに、本件訴訟は、北方領土における元島民の財産権に対する国の姿勢を正す意味もあった。すなわち、わが国領土内にある不動産については、国は登記という制度をもって国民の権利を保全しなければならないという、憲法上の義務の確認である。
 第一審の根室地裁では、「北方四島は日本固有の領土である以上、そこにはわが国の主権も統治権も当然に存在し、その土地も不動産登記法に基づく登記の対象となる」として、元島民の財産権も本国内と同様に保全する必要があることを明確に認めた、舛潟氏全面勝訴の判決であった。
 しかし、国は「上級審の判断を仰ぎたい」として控訴した。ところが、控訴審での判決を待たずして舛潟喜一郎氏は逝去し、ご長男の鉄夫氏が訴訟を引き継いだのだが、1999年1月26日に出された札幌高裁の判決は、国側の主張を全面的に受け入れたものとなり、舛潟氏側は敗訴した。もちろん舛潟鉄夫氏は直ちに最高裁へ上告した。
 そして、5年間の歳月を経た2004年2月24日、北方領土の日である2月7日が過ぎ去るのを待っていたかのように、上告棄却の決定が為されたのである。
 この決定は、実質において北方領土が日本の領土であることを否定するものであり、元島民の財産権の保全手続を怠ってきた国の行為をも正当化しようとするものであるといわざるを得ない。
 行政に続いて、ついに司法も北方領土を見捨ててしまったのである。
 この悲しくてやりきれない現実の、救いはあるのだろうか。

 司法も見捨てた北方領土


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